時間に追われる、ということを考えてみた。
20代のうちは、「自分はどうあるべきか」ということを考える時間が今よりあったように思う。
めざす人間像となるにはもっとこうあるべきだとか、35歳でこうしようとか、そのために今これをしよう等等。
自己啓発にむすびつく書籍をずいぶん読みあさったり、心にひびく言葉をメモして、そのように心掛けたりと精神的な成長を模索していた。将来に備えるための自己認識といったテーマに時間の重点があった気がします。
アイデンティティーの確立、といったところですかね。
そのうち仕事のことや、各団体の会務のこと、地域の活動や、私生活のことなど、自分を取り巻く周辺環境が充実していくにつれ、その対応に費やす時間が多くなった。
現在の多くの時間は、次々に発生する課題を、どのように解決していくかということ。
解決策として、能力ある担当にまかせる結果となるが、そのシステムづくりに時間と労力が必要となる。
30代の現在は、基盤となる組織の完成をめざす為の時間と未完成の部分を自分自身で対応するための時間が多い。年齢とともに、時間の経過する早さが加速度をまして時間に追われている感覚がある。
今の私が他からどう見えるか知るところではないですが、(知らないほうが幸せか?)自分自身で良いと思う面がある。
それは、どの年でも精一杯がんばってきた自分がいる、ということである。
20代の頃とちがって自分のためだけに使える時間は激減し、今やっておきたいことが山積みであり時間がないのが困るのだが、私が一番怖いのは「これがしたい!」という情熱が失せてしまうことだ。
やりたいことが多くその結果やるべきことを多く生み出しているという反面、時間に追われて困る、自業自得のぐるぐる回りとなるが、自分自身の性格としてこの状態に結局のところ充実感を覚えるのだろう。
そういえば20代前半の頃、確定申告時期に事務所に泊りがけで追い込み仕事をしていたとき、
栄養ドリンクをガブガブ飲んで「まさに修羅場の仕事!これが粋(イキ)なんだ!」と自己陶酔していたっけ(笑)
まぁ好きでやっているんだから、時間がない等と自分に愚痴らないで、時間との修羅場で仕事を楽しむことにしよう。
明日は、相続の調停立会い(まさに修羅場)です。
では、また。(*^o^)/
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